船旅ディナーでの悲喜こもごものテーブルメイト

船内での夕食は、指定席で、毎晩同じメンバーで同じ席に座ります。
ある程度の希望は聞き入れられる場合もありますが、
これも運で当たり外れがあります。

朝食と昼食席順は、1回ごとにレストランのボス(黒服)が采配して決めます。
この際に、明らかに白人とカラード(有色人種)が差別され、
カラードは一角にまとめられることが通常でした。
始めは偶然かと思っていましたが、そうではありませんでした。これは部屋割りも同様で、
カラードは船端の部屋が与えられていました。
旅の達人によると、「こういうことには鈍感になって感じなくすることが旅を楽しむコツ」
だそうですが、なかなかそんな
卓越した心境にはなれませんでしたが。

針のむしろの第1回
さて私の始めのテーブルメイトはアメリカ人女性2人、カナダ人男性1人、ドイツ人2人という
白人グループでした。約2週間一緒に夕食をとりましたが、彼らが私に歩み寄ることはありませんでした。
まったく興味がなかったようです。
話しかけられることもなく、ほとんど無視されるような状況の晩餐は針のむしろでした。

アメリカ人、カナダ人(30代男性)は、それぞれ一人参加で、フルクルーズメンバーでした。
私も含めて一人参加の人は、煩わしいことが嫌いな孤独を好むタイプの人が
多いことによるのかもしれません。
また、英語がタドタドしい私との会話が面倒だったのでしょう

ドイツ人カップルは1ヶ月のショートクルーズでしたが、ラブラブの恋人同士でしたので、
食事中も二人の世界に浸っていました。
私の存在などまったく眼中になかったのでしょう。
誰とも会話することなく、2人で愉しんでいました。

この写真ではみんな笑顔ですが、真実は暗いテーブルメイトでした。

楽しかった2回目のメイト
朝食、昼食で一緒になるフレンドリーな欧米人に比べて、夕食の人々のあまりの冷たさに
親しくなったクルーのイヴァに相談すると、即座に
「そんなに酷いのならテーブルを買えるべき。私から黒服に言う」とのアドヴァイスを得て
新たにテーブルを移りました。

案内された2回目のテーブルメイトは、アメリカ人夫妻、夫人が中国系のカナダ人夫妻、
イギリス人のジョージの5人でした。

驚いたことにジョージは、毎朝一緒にモーニングコーヒーを飲む友人でしたので、お互いに偶然にビックリ!
元々話があったジョージですので、それからは一人参加同士ということもあり
一層仲良しになり、旅行中最も楽しいテーブルとなりました。

ジョージは、誰にも隠していましたが、親しくなると元軍人だったと打ち明けてきました。
そのため多国籍の人がいる船内では職業をジャーナリストと偽っていました。
彼の本心はアメリカ人も日本人も嫌いな、愛国心あふれるバリバリの保守派。誇り高き英国人でした。
そのため親しくなると「あなたも食べているの?」と捕鯨問題を出され、厳しく日本人批判されました。
そんなことから気まずくなり、少し悲しい別れとなりましたが、
イギリス男性と親しくなるという得がたい体験をしました。

この鯨問題、リメンバー・パールハーバー、そしてアジアにおける
日本の戦争責任
3つのテーマは。外国人と親しくなると、苦しい話題です。
言葉も十分でないのに、難しい国際問題にどうコメントして対応するかは
いつも辛く、なるべくそちらに話題が向かないように気を使っていました。

アメリカ人夫妻は、テキサスから来ていましたが、物静かで思いやりのあるカップルでした。
特別に大切な船内アナウンスがあったときには、私に理解させるように、
ゆっくりクリアーな英語で教えてくれる心遣いを見せてくれました。

カナダ人夫妻は、夫人がアジア系でしたので、やはり親しみを感じました。
ピアノ教師の夫人と2人で一緒にコンサートに行ったりしました。

英語教授がヘルプの3回目
仲良くしていた2回目のテーブルメイトでしたが、残念ながら全員がロスアンジェルスで
下船してしまったので3回目のテーブルになりました。

今度は、オーストラリア人の4人家族とアメリカ女性ロビンです。
オーストラリア人一家は長男夫婦と、お父さん、お姉さんの組あわせでした。
この一家の職業は、日本向けに輸出している大規模米農家
日本には来た事がないそうですが、私が日本人だったので特別の親近感を持ってくれました。

明るくて人柄の良いくフレンドリーな家族で、大層お金持ちのようでした。
ロスでこの船に乗る前には、1ヶ月かけてレンタカーでアメリカの観光をしてからの乗船でした。
テーブルでも、ワイン(有料)を毎晩2本ずつ空けたり、その後もバーやカジノで盛大に遊んでいました。
この家族をみていると、大陸のおおらかさ、人間の善良さガあふれていて、
オーストラリア人の魅力を十分に認識しました。

唯一つ大きな問題がありました。
彼らの英語が半分ぐらいしかわからなかったことです。
いわゆるオージーイングリッシュは、発音がまったく違うのです。
今まで私が接したオーストラリア人は日本に住む英語教師でしたので、聞き取りにくいことはあっても、
理解できる範囲でした。

私の困惑を察して助けてくれたのがロビンです。
彼女は半年前までアメリカ・サンディゴの大学で、
外国人向けの英語教授をしていた人でしたので、
どこまで私が理解できているのを感じ取って
私が困ると私の耳元でそっとささやいて教えてくれました。
「ネェ、あなたわからないでしょう。私にさえ半分ぐらいしかわからないのよ」
悪いけど、教育のない人の英語はねぇ」と声を潜めて言っていました。

確かに、苦労して荒れ野を開拓して農業で大成功を治めた彼らは、食事のマナーも悪く
教育を学ぶ時間もなかったのだと思いましたが、温かく優しい家族でした。

このロビンも、船旅を精一杯謳歌していました。
毎晩ワインを1本グビグビ飲み、深夜までディスコやバーで踊って、明るくて精力的に活動する
彼女を見ていると、とても引退なんて勿体ないと思って尋ねてみると
「実は何回も癌の手術をしているの。後残りの人生が何年あるかわからないのよ。
親の介護もあるし、これからは仕事をしないで楽しんで生きたいの。」とのことでした。
独身60歳。憧れの船旅に出てはしゃいでいるロビンの寂しさを知りました。

チンプンカンプンの4回目
3回目のテーブルメイトが、全員シドニーで下船したので、
また新たなテーブルメイトとの組み合わせになります。いつもドキドキします。

一人旅ではテーブルメイトとの出会いが旅の楽しさの大きな要素になるからです。
毎晩知らない人と会話して食事をするのがするのが気詰まりで、1人席を希望する一人旅の人が多く
私も毎回迷いましたが「もう1度挑戦してみよう!」と自らを鼓舞してきました。

今回は全員がシドニーから乗ってきた3夫妻6人です。
6人全員が、上品でマナーが良く、優しい人達でしたが、困ったことに
英語がサッパリとわかりません。

私が話す英語は、彼らは理解しているので、自分達の英語も
私がわかっているはずと思っていたのですが
発音が違うのでチンプンカンプンまったくわかりませんでした。
アメリカ人やイギリス人が話す英語と、同じ言語とは思えませんでした。
でも、彼らは丁寧に優雅に毎晩語りかけるのですから
私にとって、それからの夕食は毎晩辛いものとなりました。
今度は英語を助けてくれるアメリカ人はいませんので孤軍奮闘の日々でした。
悩んだ挙句、再びテーブルを移ることを決めました。

そして彼等の親切に答えるために出来るだけの誠意を尽くすことしました。
ちょうど横浜入港前でしたので、ローマ字で書いた日本語の地図や、
簡単な会話カードを作ってプレゼントしました。
「トイレはどこですか?」「横浜駅はどこですか?」「いくらですか?」
「タクシーはどこで乗れますか?」などでしたが、とても喜んでくれました。
そんな彼らに、別れを告げると理由もわからずに涙ぐんで悲しんでくれました。

下右の演奏写真はフォーマルディナーの時。
フォーマルの日だけダイニングルームで楽器演奏がありました。

大当たりの5回目
テーブルメイトの変更は、今回で5回目です。
いつもながらドキドキしながら案内されたテーブルは
アメリカ人5人、カナダ人2人の大テーブルでした。

彼等は出港当時から1ヵ月半ずっと一緒のメンバーで、
既に出来上がったグループに一人入る心細さがありました。
しかもネイティブの中に加わるのですから、言葉の問題の不安がつのりました。
でも勇気を持って精一杯の笑顔で挨拶すると思いがけないほどの歓迎を受け安堵しました。

結局、このグループと残り1ヵ月半の船旅を最後まで一緒のテーブルで過ごし、
今回最も長くディナーを共にしたメンバーとなりました。

80代の長老人ロイドとグロリアのカナダ人夫妻は、ご主人が元JAL勤務だったこともあり、日本びいき。
自分の娘のように優しく接してくれました。夫人は足が不自由でしたが、
スクーターを上手に操ってカジノや絵画教室などゆったりと船旅を楽しんでいました。

アメリカ・インディアナ州から来ていたダンとジャン夫妻は、優しい心遣いと行動力の人でした。
独身女性が4人参加していたので、本来なら夫婦で隣に座るアメリカの慣例を破って、
毎日日替わりで席を交代することを提案して、満遍なく皆が会話できるように工夫を凝らしていました。

一人参加は、オレゴン州から来ていた 未亡人のマーガレットです。
たぶん70代と思われましたがテーブル1番のお洒落さんで、毎晩ドレスアップして皆を楽しませてくれました。

またスポーツフェチで、嵐のような風雨の中でも鬼の形相でデッキをウォーキングしていました。
女性の友人同士しで参加していたのがジャネットとファネットで、私と大の仲良しとなりました。

ジャネットは、離婚して2人の息子を育て上げ今は悠々自適でシニアライフを楽しんでいます。
バランスが取れた温かい性格で、笑顔が美しい人でした。
男女共に惹かれてしまう魅力的な性格でしたので、船内でもボーイフレンドができていました。
帰国後も、メール、手紙、DVDなど送っていただいて、お付き合いが続いています。
 
ファネットは、政府関係に勤務するただ一人現役のキャリアウーマンです。
そのためか気前が良く、惜しげなく全員にプレゼントをしていて驚きました。
たとえば女性全員が被るティアラ、カトレアのブーケ、イースターのための飾り物やお菓子など
総てファネットの奢りでした。
これらは、船旅をエンジョイするためにファネットが計画し、全員でその行事に向かって準備をして
楽しむといういかにも陽気なアメリカ人の典型のような人柄でした。
面倒見がよく、行動力もあるファネットには、皆が一目おいていました。テキサス在住の独身。
ジャネットとは以前の職場が一緒の友人でいまはコロラドに住んでいるジャネットとは、
海外旅行をよく一緒にしている仲良しです。
私はこのグループの暖かい友情に支えられて、後半の旅を楽しむことが出来ました。心から感謝です



 
下の写真で手を出している2人がジャネットとファネット。エジプトでへナのタトゥー(刺青)をしました。
1週間は持つということでしたが5日ほどで消えてしまい皆で大笑い。
こんなふうに遊び心を持つアメリカ人の稚気が好きです。

またイースターには私達のテーブルだけ飾りつけをして祝いましたが、
写真はそのイースターパーティのテーブルです。
飾りは皆の手作りで、私もメンバーからの要望にこたえて、
一人ずつの英語名を漢字の当て字で書いたカードを作成しました。

このグループでは、食事以外でも一緒に遊ぶことが多く、下の写真はキッチン見学会のものです。
ディナーと違ってみんなスポーティな服装です。

ジャネットが自転車レース
今日(5月22日)はアメリカ人・ジャネットからメールが届きました。自転車レースに参加したというのです。
先日、船で知り合ったボーイフレンドに会いにオーストラリアまで出かけて
帰国したばかりなのに、この元気です。

惜しくも入賞は逃したようでしたが、来年も頑張るとのことです。
アメリカ人は本当にタフです。いつも笑顔でエネルギッシュ
メールの結びには「新しいボーイフレンドは?出来たらばすぐに教えてください」とありました。
いかにもアメリカ人らしいクエスチョンです。


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 最終更新: 2017/10/27