浜離宮で歴史講座

今日の歴史講座の出発点は浜松町です。
始めに旧新橋停車場の見学。

旧新橋停車場

この辺りは元は葦の生い茂る海辺でしたが
江戸城外堀になることから土橋に堰を設けて
潮の干潮が中に入るのを防いでいて汐止めという地名に。

ここに明治3年の鉄道開通のために最初の杭が打ち込まれ
5年に鉄道が開通すると、新橋停車場として東京の玄関口でした。
文明開化の象徴となりましたが
今ではモダンのビルの前で小さく見えます。

創業時の線路


銀座の柳

また近くには初代銀座の柳の2世が1本、
ひっそりとして往時を忍ばせています。

浜離宮恩賜庭園

この辺りは、徳川将軍のお雁り場でしたが
承応年間に綱重の別邸となり庭園として造園されました。
明治維新後は宮内庁管轄となり名称を「浜離宮」と改めて
宮内庁の公の場として利用されましたが
戦後民間に委託され一般公開されました。
江戸時代の代表的な大名庭園です。

三百年の松

6代将軍家斎が庭園を改修した際に
偉業を称えて植えられた松。
地を這うように大きく広がっています。

汐入の池

ここは海水を入れ、塩の満ち引きにより変化の風情を楽しんだ池です。
海辺の大名屋敷では通常用いられた様式ですが、
現存するのはここだけで、浜離宮一の見所です。
現在も水門により池の水の出入り調節。眺める場所によって
松や橋など景色が楽しめ
池にはクラゲやぼらなどの姿も見えます。

水門

潮の満ち干きを利用して
池の水位を上下させるための水門です。
現在でもコンピュターで管理して使用しています。

 

お伝い橋

汐入の池にかかるカギ型の117メートルの橋は、高知県産総檜造り
11代将軍の時代には橋全体が藤の花の回路になっていました。
水面に写る橋と中島お茶屋の優雅さが庭園景観の中心でした。

お上がり場

江戸時代の将軍が浜御殿に来たり、舟遊びの休息のために
立ち寄る乗降された船着場
寛政年間には、家斎が品川沖で捕獲された
鯨見物をした記録も残っています。
また最期の将軍慶喜が大阪から江戸の入り
このお上がり場から上陸して騎馬
江戸城に帰還した場所でもあります。
現在では、遠くに汐止めの高層ビル群が借景になっていますが
歴史のシーンを描ける素晴らしい場所で
今もその原型を留めています

庚申堂鴨場

鴨場は江戸時代の大名庭園に必ずあったものですが
現存するものはここの2基だけとなっています。

これは昭和19年まで使用されていたもので、
側の小屋から様子を伺って
稗や粟で餌や囮のアヒルで「引き堀」までおびき寄せ
土手の影から網ですくい上げるという猟のやり方です。
私は予てから毎年報道される皇室の鴨猟というものにとても興味があったので
今回の見学で尤も面白い場所でした。

皇室と猟」というのは平和のイメージとはかけ離れているもので、
いつも残酷では?と考えていましたが、やはり狩というものは残酷。
昔も今も人間の趣向というものは
変わらないものだと改めて思いました。

中島のお茶屋

18代アメリカ大統領グラント将軍が27歳の明治天皇と過ごした茶屋。
将軍を始め公家達が眺望を楽しんだところ。
現在の建物は昭和58年に再建されたもので、
鶴をイメージしてあり建坪50坪。
現代も観光客にお茶を。提供しています。
私達も暑さを逃れて一服。
景観を眺めながら将軍の気持ちになりました。

60年前の浜離宮

私が始めて浜離宮を訪れたのは小学校低学年の遠足のときでした。
当時は公園の前は広々とした大海原が広がって
大型の貨物船が通っていたのに感激して
始めてみる光景をスケッチした記憶を鮮明に思い出します。
 
60年前には想像だにしなかった現在の景色ですが
昔見えた水平線の辺りには埋め立てられて
高層ビル群が並び、時の移ろいへの感慨もありますが
それはそれなりに美しい風景でした。

庭園内は、大道芸も披露されて江戸情緒を盛り上げ
花畑には夏の花が咲き乱れていました。



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 最終更新: 2017/10/26