江戸散策 銀座界隈(8) 金春・みゆき通り

江戸時代に能楽は、式楽とされていて、観世、宝生、金剛、金春の四家が
幕府直属となっていました。
このうち金春が大和の最も古い家で、寛永4年ここに屋敷(三百国)を拝領しました。
金春家は、後に麹町に移りましたが「金春通り」の名前が残り、花街として栄えました。
現在は8丁目の「金春通り」の通リ名と、銭湯「金春湯」が残っています。
みゆき通りは、銀座通り(中央通リ)と交差して、5丁目と6丁目を通る
銀座のもっとも銀座らしい雰囲気を醸し出している通りです。
昭和60年代には当時のカリスマ・デザイナー石津謙介が米国の大学生で流行っていた
アイビールックを取り入れた紳士服「VAN」を創業。
アイビールックでVANの紙袋を持ってみゆき通りを歩くのが
カッコ良い若者のファッションとなり「みゆき族」と呼ばれていました。
みゆき通りには舶来品を扱う店が多く、ファッションの先端をいく通りでした。
みゆき通りの名前の由来は、江戸時代には歴代将軍が江戸城から浜御殿(浜離宮)に通う道、維新後は明治天皇が皇居から、築地の海軍兵学校に行幸する通りでした。
そこで地元では昭和12年に「みゆき通り」と名づけ、街路灯にも鳳凰飾りをつけています。
また、みゆき通りに平行している交詢社通りにある交詢社ビルは昭和4年に建てられた
アールデコ調の、古き銀座を象徴する建物でしたが取り壊され
今は新しいモダンなビルになっています。
ただし南側入り口だけが保存されて使われています。
交詢社は福沢諭吉が創立した社交倶楽部でした。
★ 銀座には 稲荷もあれば 風呂もある (洋)
★ 銀座の町を 歩いて知った 江戸風情 (映)
★ 華やかな 銀座の裏に 暮らしあり (幸)
★ 江戸の碑を 見てばかりいる 銀座なり (久)
★ 御行幸に その名は みゆき通りなり (久)
★ 能楽は 昔も今も 一門で (定)


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 最終更新: 2015/10/22