記号のミステリー

和歌山城は、秀吉が弟秀長に天正13年(1585)の築城させたものですが、
その後元和5年(1619)家康の第11子頼宣が入城し、紀州55万5千石の城となりました。
以来尾張、水戸と並んで、徳川御三家として250年の長い歴史刻んできました。
しかし、江戸初期に天守閣が落雷により焼け、特別に再建しましたが、
昭和20年の戦災でまた焼失しました。
その後、昭和33年に鉄筋コンクリートで再建、復元されましたので、
現在の建物には歴史的価値は無く、城としての魅力はほとんどありません。
しかし、城の石垣には、紀州特産の美しい青石(緑泥片岩)が多く使われていて
紀州らしさをうかがわせます。
また、石垣の所々には、面白い記号が刻まれていて興味を惹きました。
和歌山城は、虎伏山の山頂に築かれて意います。一の橋「大手門口」から入り、
雨で濡れて滑る石段と、上り坂を登り、城内入り口まで辿りつくのには、かなりの労働でした。
もう天守閣見物を躊躇するほどでした。
迷いましたが、せっかくここまで来たからと中に入り、さらに階段を登り天守閣まで行きました。
天守閣からは、雨の中に遠くに流れる紀ノ川が望めました。展示物も少なく、殺風景な内部でしたが、さすがにここまでくると、紀州の殿様気分が味わえます。ようやく徳川御三家の威容を感じました。
「老後は神社.仏閣.名所巡り」というイメージがありますが、現実には神社・仏閣などは、どこも石段、山坂が多く健脚でないと信心もできそうもありません。
写真は、石垣の1部に刻まれている記号です。


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 最終更新: 2015/8/13